警察も、犯人も、空き巣も——それぞれの「愛」が仙台の夜を動かす。
冬の仙台を舞台に、一夜の立てこもり事件が展開される伊坂幸太郎さんの長編ミステリー。
ある民家で偶発的に発生した「白兎事件」を軸に、警察のSIT・誘拐グループ・プロの空き巣という、まったく異なる立場の人間たちが複雑に絡み合っていきます。
伊坂幸太郎さんお得意の多視点構成と、精緻に張り巡らされた伏線が光る一冊です。
登場人物それぞれが抱える「誰かを守りたい」という思い——息子への愛、妻への愛、娘への愛。
それらが交錯しながら、物語はまったく予測のつかない方向へと転がっていきます。
読み始めたら最後まで止まれない構成は、伊坂ワールドの醍醐味が凝縮されているといえるでしょう。
エンタメ小説としての純粋な面白さを追求した作品として、ミステリーファンから高い評価を受けています。
あらすじ
冬の仙台。
誘拐グループに所属する兎田孝則(うさぎだ・たかのり)は、新妻の綿子を仲間に誘拐されてしまいます。
犯人グループのリーダー・稲葉から突きつけられた要求は、通称「オリオオリオ」と呼ばれるコンサルタント・折尾豊(おりお・ゆたか)を連れてくること。
GPS発信機を頼りに折尾の居場所を突き止めた兎田は、仙台市内の高台に位置する一戸建て住宅へと踏み込みます。
しかし、その家に暮らしていたのは、折尾とは無関係の一般家庭の親子でした。
こうして偶発的に発生した人質立てこもり事件——通称「白兎事件」は、警察のSITを巻き込みながら、誰も想定しなかった方向へと転がっていきます。
そこへ、プロの空き巣である黒澤と、仕事仲間の中村・今村がひょんなことからその場に居合わせることになります。
息子への愛、妻への愛、娘への愛。
さらにはオリオン座への(?)愛。
さまざまな思惑と感情が交錯するなか、「白兎事件」の全貌は、この本を読んだ者だけが知ることのできる——そんな一夜の物語です。
著者について
伊坂幸太郎さんは、1971年、千葉県生まれの小説家です。
東北大学法学部卒業後、システムエンジニアとして働きながら執筆活動を続け、2000年に『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞してデビューを果たしました。
現在は宮城県仙台市に在住しており、同市はたびたび作品の舞台として登場します。
主な受賞歴としては、『アヒルと鴨のコインロッカー』で第25回吉川英治文学新人賞、短編「死神の精度」で第57回日本推理作家協会賞、『ゴールデンスランバー』で第5回本屋大賞および第21回山本周五郎賞、『逆ソクラテス』で第33回柴田錬三郎賞などがあります。
代表作は『重力ピエロ』『ゴールデンスランバー』『グラスホッパー』など多数。
伏線を巧みに張り巡らせ、最終盤で鮮やかに回収するスタイル、キャラクター同士の軽妙な掛け合い、そして読後感の爽快さが持ち味の作家です。
多くの作品が映画化・ドラマ化されており、日本を代表するエンタメ小説家のひとりとして広く知られています。
直木賞については複数回候補に挙がりましたが、2008年に自ら選考対象からの辞退を表明したことでも知られています。
読みどころ
複数の視点が交錯する多層構造
本作の最大の特徴は、複数の登場グループがそれぞれ異なる視点で描かれながら、ひとつの物語が同時進行していく構成にあります。
籠城犯として家に踏み込んでしまった兎田、警察側のSIT隊員・夏之目(なつめ)、そして偶然その場に居合わせることになった黒澤と仕事仲間たち——それぞれの立場、それぞれの事情が複雑に交差しながら、時系列もまた入り組んだ構成になっています。
一見バラバラに見えるエピソードが、読み進めるうちに鮮やかにつながっていく瞬間の快感。
「そういうことだったのか」という驚きと納得が幾重にも重なるこの構造こそ、伊坂幸太郎さん作品の真骨頂といえるでしょう。
パズルのピースが少しずつはまっていくような感覚で読み進められる構成は、最後の一ページまで読者を手放しません。
黒澤というキャラクターの魅力
本作の大きな見どころのひとつが、伊坂幸太郎さんの過去作に登場したキャラクター・黒澤の再登場です。
黒澤は腕利きの空き巣でありながら、「盗んだものをレシートのようなメモに書いて置いていく」という独自のルールを持つ、一風変わった人物。
冷静沈着でありながら、ときに真顔でユーモアを発する独特の存在感は、本作においても健在です。
黒澤は『ラッシュライフ』『重力ピエロ』『フィッシュストーリー』などにも登場しており、既存の伊坂ファンにとっては懐かしいキャラクターとの再会となるでしょう。
一方で、初めて伊坂作品を読む方にとっても、黒澤の活躍はそれだけで十分に楽しめる内容になっています。
前作の知識がなくとも、この物語の中で黒澤というキャラクターの魅力は余すことなく伝わってくる——そんな作りになっているといえます。
軽妙な掛け合いと伏線の妙
登場人物たちの会話のやりとりは、緊迫した状況のなかにあっても独特のテンポと笑いを生み出します。
黒澤・中村・今村の3人が交わす掛け合いは、緊張感のある物語の随所に柔らかな息抜きをもたらしてくれます。
重いテーマを扱いながらも、陰鬱な雰囲気にならないのが伊坂幸太郎さんの作風の特徴です。
さらに、物語のあちこちにさりげなく散りばめられた小さなエピソードや台詞が、終盤で意味を持って回収される瞬間の快感は格別。
オリオン座にまつわるモチーフ、ヴィクトール・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』との関連など、作品に散りばめられた要素が終盤に向けてひとつの輪郭を結んでいく——その過程を味わうことが、本作を読む醍醐味のひとつです。
こんな人におすすめ
はじめて伊坂幸太郎作品を読む人
登場人物のキャラクターが際立っており、テンポよく読み進められる本作は、初めて伊坂作品に触れる方にも入りやすい一冊といえます。
伊坂ワールドへの入口として適した作品として紹介されることが多く、初心者から上級者まで楽しめる構成になっていると評価されています。
伏線の回収や多視点構成など、伊坂幸太郎さんの持ち味が凝縮されているため、この一冊を通じて伊坂作品の面白さをまとめて体験できるでしょう。
ミステリー・サスペンスが好きな人
人質立てこもりという緊迫した状況で、警察・犯人・空き巣という三者が絡み合う展開は、スリリングな読書体験を求める方に向いています。
予測のつかない展開と、最後まで気が抜けない構成が光る作品です。
ミステリーとしての骨格を持ちながら、コメディやヒューマンドラマの要素もあわせて楽しめる点も、この作品の魅力のひとつといえるでしょう。
複数の登場人物の視点が好きな人
複数の立場から同一の事件を描くスタイルは、パズルのピースが合わさっていくような独特の読書体験をもたらします。
『ラッシュライフ』や『アヒルと鴨のコインロッカー』が好きな読者であれば、特にこの構成の面白さを楽しめるでしょう。
多視点ならではの「ある視点では見えていなかった情報が別の視点から明かされる」という構造が、本作では巧みに活かされています。
過去の伊坂作品を読んだファン
黒澤・中村・今村など過去作に登場したキャラクターたちの再登場は、長年の伊坂ファンにとってひとつの楽しみとなっています。
かつての作品のなかで彼らが見せた姿を知っているからこそ、本作での活躍がさらに味わい深く感じられるでしょう。
ただし、前作を読んでいなくても物語の理解には影響なく、本作のみで完結した読み物として十分に楽しめます。
伊坂作品をお好みの方の書評は、当ブログの伊坂幸太郎さん関連記事でもご紹介しています。
注意点
時系列が入り組んでいる
本作は視点と時系列が頻繁に切り替わる構成になっています。
「今誰の視点で、いつの話をしているのか」を意識しながら読む必要があり、一度流し読みをしただけでは全体像を掴みにくいと感じることもあるかもしれません。
じっくりと腰を据えて、登場人物の立場や時間の流れを確認しながら読み進めるのが、この作品を最大限に楽しむうえで適しているでしょう。
複雑な構成だからこそ、最後にすべてがつながる瞬間の快感が大きい——そう考えれば、この入り組んだ構造も本作の魅力のひとつといえます。
リアリティよりも「物語の楽しさ」優先
籠城事件の展開に、「それはさすがに無理があるのでは」と感じる場面があるかもしれません。
ただ、伊坂幸太郎さんの作品は基本的に「物語を楽しむこと」が最優先の設計になっています。
整合性よりも読後感を重視する作風であることを念頭に置いたうえで読むと、細かな点を気にすることなく純粋にエンタメとして楽しめる作品です。
「楽しさを追求したら、こういう小説になりました」という伊坂さん自身の言葉が示すとおり、読者をいかに楽しませるかを徹底的に考え抜いた一冊といえるでしょう。
おわりに
伊坂幸太郎さんの『ホワイトラビット』は、仙台の住宅街で起きた一夜の立てこもり事件を、警察・誘拐グループ・空き巣という三者の視点から描いた長編ミステリーです。
本屋大賞を受賞した『ゴールデンスランバー』の書き下ろし以来、約10年ぶりとなる書き下ろし長編です。
複雑に絡み合う時系列と伏線が、最後にすっきりとひとつの物語へと収束していく快感は、まさに伊坂幸太郎さんにしか書けない読書体験といえるでしょう。
息子への愛、妻への愛、娘への愛——それぞれが抱える「誰かを守りたい」という思いが、ときに笑いを、ときに緊張を生み出しながら物語を動かしていきます。
読後感は爽快で、全員がベストエンドというわけではないにせよ、それぞれに納得のいく着地点へと向かうラストは、読み終えた後に温かい余韻を残してくれます。
ミステリーとしての構成の妙、キャラクターの魅力、軽妙な会話のテンポ。
伊坂幸太郎さんのエンタメ小説家としての真骨頂が、この一冊に詰まっています。
ミステリーが好きな方にも、伊坂作品が初めての方にも、広く楽しめる作品として評価を受けている一冊です。
「白兎事件」の全貌を知ることができるのは、この本を読んだ者だけ——そんな特別な読書体験が、この一冊には待っています。
この記事があなたの読書選びの参考になれば幸いです。
おわり
ジャケドロ661
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